”浅”草寺の”深”いところ
みなさんは浅草寺に行ったことがありますか?
浅草寺といえば、その名の通り、東京の浅草にある観光名所で海外の方にも人気があります。
日本人にとっても、比較的身近な観光地で、旅行で東京に行ったときに見た!、という人もいるのではないでしょうか。
でも、みなさんは浅草寺についてどれくらい知っていますか?
周りの観光名所なら知ってるけど・・・
という人も結構多いのではないでしょうか。
一緒に旅行に行った友達や、観光中の外国人に聞かれたときに、話せる豆知識を知って、浅草観光をもっと楽しいものにしましょう!
浅草寺の歴史
浅草寺、爆誕!
浅草寺は、実は1400年近い歴史があります。
寺伝によると、本尊が現れたのは、飛鳥時代の推古天皇36年、西暦で言うと628年、3月18日の早朝だそうです。
結構、驚きですよね。
これからお教えするエピソードは浅草寺の本尊が現れるお話です。
本尊とは、お寺の中の本堂に置いてあって、信仰の対象となるメインの仏像のことです。
それでは見てみましょう。
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む”浜成・竹成”という兄弟が、投げ網の漁をしているときに、一躰の像が網にかかった。
仏像のことをよく知らなかった兄弟は、像を水中に投げ捨て、場所を変えて何度も網を投げた。
しかし、そのたびに同じ像が網にかかって、魚が全く捕れなかったので兄弟はこの像を持ち帰った。
土地の長である、土師中知(はじのなかとも)という人にその像を見てもらうと、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)の像であることがわかった。
次の日の朝、子供たちが草で作ったお堂に、この観音さまを祀った。
そして、「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏様である」と近所の人たちに語り聞かせた土師中知は、自分の家を寺に改装し、観音様の礼拝供養に生涯をささげたそうな。
・・・こえーよ
像の登場の仕方が、普通にホラーじゃないですか?
どう考えても呪われてるんですけど。
ちなみに、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)とは、顔が1つに腕が2本の人の形をした、ノーマル菩薩のことです。
像が何度も網にかかって登場したり、子供が草でお堂を作ったり、「フィクションでもこんな設定にはしねーよ!」と言いたくなってしまいますね。
有名人との関わり
源頼朝、足利尊氏、徳川家康などの有名な武将も、勝利祈願や信仰をしていたそうです。
徳川家康に関しては、あの有名な”関ヶ原の戦い”で、浅草寺に勝利祈願をして見事、勝利を収めました。
これによって、ますます浅草寺は有名になりました。
浅草寺の伝説
先ほど紹介した、本尊が登場した日に、一夜にしてあたりに千株の松が現れ、三日後には、金の鱗を持つ龍が松林の中に降りてきたという伝説があります。
これが浅草寺の山号の”金龍山”の由来で、また、浅草寺で行われている”金龍の舞”も因んでいます。
山号とは、お寺の別の呼び方のことです。ニックネームみたいなものですね。
このほかには、
原因不明の火災によってお寺が燃えたときに、本尊が自ら逃げた
というものや、
その火災によって壊れた浅草寺を再建するときに、用舜上人という人が”聖観音の秘宝”によって、大雨を降らせ、その勢いで山で伐採した材木が隅田川のほとりに流れて、必要な材料がそろった
というものがあります。
両方とも絶妙な感じですね。
特に”聖観音の秘宝”がいいですよね。
雷門
有名なのは浅草寺よりは、雷門なのではないでしょうか。
これは有名な話ですが、”雷門”というのは俗称で正式名称は”風雷神門”です。
画像を見てもらったらわかる通り、左側に雷神、右側に風神がいますね。
風神がちょっとカワイソウですね。
実は雷門は、何度も火事になっているんです。
最後に燃えたのは1865年で、その後95年間、再建されていませんでした。
1960年、松下電器産業(今のパナソニック)の創業者であり当時の社長である、松下幸之助さんが再建しました。
結構、新しいんデスネ・・・
浅草寺の豆知識
おみくじは”凶”が多い
浅草寺のおみくじには凶が多いというのは有名な話です。
実際はどうなのでしょうか?
おみくじの吉凶の割合は、そのお寺や神社で変えることができますが、実は、浅草寺では昔のおみくじのままなんです。
そのため、他と比べて凶が多いように感じるんです。
ちなみに、おみくじの割合は公表されてます。
大吉:17本
吉:35本
半吉:5本
小吉:4本
末小吉:3本
末吉:6本
凶:30本
3割弱が”凶”なら、やっぱり多く感じるでしょうね。
ていうか、確率だけ見れば、”末小吉”が一番アタリかも・・・
なんで”せんそうじ”?
地名は浅草(あさくさ)なのに、なんで浅草寺(せんそうじ)なんでしょうか?
答えから先に言ってしまうと、”お寺”だからです。
お寺は仏様が祀られているということは、仏教ですよね。
仏教は、中国から日本にやってきました。
そのため、お寺は中国の漢字の読み方である音読みが使われることが多いんです。(例外も、もちろんあります)
だから日本生まれの神道の社、神社では訓読みが使われます。
浅草寺(せんそうじ)のとなりにあるのは浅草神社(あさくさじんじゃ)ですよね。
おまけ
浅草に富士山??
この絵を見てください。
左にでっかい山がありますよね。
これ実は、ハリボテで、”富士縦覧所(富士山縦覧所)”といいます。
明治20年、西暦1887年に建てられました。
高さは30メートルあり、山の周りには螺旋状に道があって、一番上まで登ることができました。
本物の富士山もよく見えたそうですよ。
大人気だったんですが、明治22年、1899年に、ハリボテだったからか、防風によって破損し、取り壊されてしまいました。
しかし、その次の年に、高さ50メートル越えの”凌雲閣”が建設されます。
この建物、当時の日本で一番高く、日本で初めて電動式のエレベーターがついていたそうです。
いかがでしたか?
最後は、あんまり浅草寺とは関係なかったですね。
少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
ちなみに、私は東京にすら行ったことがありません。